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ゲルマトランジスターを使った6石スーパーの製作(其の2)   

2009年 04月 13日

最近、ネットをみると4石スーパーの作り方を解説しているHPなどが目に付くようになってきた。また、「トランジスターラジオ実践製作ガイド」(丹羽一夫(JA1AYO)氏著)や「初めてトランジスタ回路を設計する本」(奥澤清吉・熙 共著)など、ラジオ関係の書籍が新規に出版され始めた。ラジオの自作が静かなブームになっているのであろうか。好ましい動きではある。この2冊を早速購入した。

 「トランジスターラジオ実践製作ガイド」をみると、なんと昭和50年当時の「東光」のカタログに示された、トランジスター用のOscコイルとIFTの規格、接続方法、おまけに6石スーパーの参考回路図まで記載されているではないか。

 実に素晴らしい。

 1990年代に、カン(!)で組み立てた6石スーパーであったが、正しい作り方(!?)に関する情報がようやく得られたのであった(19年後に突然訪れた大きな状況変化である)。今、当時は夢想だにしなかったインターネットがある。早速、OCナンバーのトランジスターを販売している店を探索した。

 あったのである。

 とあるイギリスの部品屋がOC44、OC45、OC71、OC72を全て在庫していた。これには驚喜したが、一瞬気を取り直し、いわゆるオリジナルの「Black Bullet」タイプかどうか、販売店に問い合わせのメールを出した。OC44には後期型や軍用ハイスペック品など、メタルカン入りのものもあることに気づいていたからである。回答は、「全てフィリップス製のオリジナルBlack Bulletタイプである」というものであった。すかさず、6石スーパー2台分を発注したのはいうまでもない。国産のゲルマトランジスターの価格と比較すると、その外国製トランジスターは著しく高価であった。しかし、あるだけましである。松下製のOCナンバートランジスターは、以前、いくら探してもなかったのである。一方、国内の販売店にも輸入品のOC72やOC71を在庫する店が見つかり、いくつか発注した。国内の店から届いたOC72はやや後期の品で、金属カンを被せて放熱効率を高めた品であった。これらのゲルマトランジスターは、ギターアンプの分野で珍重されているらしいのである。秋葉原の老舗の半導体屋さんでも、「2SB54、2SB56の在庫が全て買われてしまった」という話を聞いた。秋田市内の部品屋でも同じ話を聞いた。「2SB54、56はギターやってる人たちがみんな買っていったスな~」とのことである。

 そのうち、OCトランジスターが届いたのである。「少年ラジオ技術者ハンドブック」によりナショナル製のOCナンバートランジスターの存在を知ってから、35年。OC71を入手してから19年。遂に6石スーパーの作製に必要な「OCナンバートランジスター」を全て入手し得たのである。感慨無量とは、このことである。

 病膏肓にいって、フィリップスのトランジスター開発の歴史を調べたら、そのものズバリのHPがみつかった。

http://sites.google.com/site/transistorhistory/Home/european-semiconductor-manufacturers/philips

それによるとAlloy Junction型のOC70とOC71が開発されたのが1954年(昭和29年)、OC72の開発は翌1955年(昭和30年)。フィリップスグループにより最初の高周波トランジスターOC44とOC45が開発されたのは、それぞれ1957年と1956年(昭和32年と31年)とのことである。松下がフィリップスと技術提携したのはこの当時と思われ、本家で開発された直後に松下でも製造されたものと推定される。なお、OC44とOC45は同じラインで製造され、遮断周波数の違いにより選別されたのではないか、と指摘されている。ありそうな話ではある。BC帯の1600Kc程度の周波数で動作するAlloy Junction型トランジスターを製造することは、実に大変だったのであろう。ゲルマトランジスターには後年、ドリフト型やメサ型が開発され、遮断周波数が一気にVHF帯まであがるのであるが。

 ここに至って、にわかに6石スーパーの作製意欲が爆発した。とはいえ、いきなりこれらの貴重な石を使ってラジオをつくるのは暴挙といえよう。まずは、国産のゲルマトランジスターを使って、十分に事前検討をするべきである。という路線を敷いて、プリントパターンの作製から着手した。今度は、十分に検討した上で納得のいくパターンを作製するつもりで取り組んだのである。

 同時に、さらなる参考書の探索も試みた。すると、1967年に奥澤清吉氏が著した「トランジスタとその使い方」という本が中古でAmazonにリストされているのを見つけたので、すかさず発注した。届いた本を見て、私は驚喜乱舞した。ゲルマトランジスターを使った低周波増幅回路、電力増幅回路、中間周波増幅回路、周波数変換回路、ハイファイアンプなどの回路に関するノウハウが詳細に記載されているのである。歴史に埋もれ去った、過去の貴重な技術が満載なのである。

# by FujichromeR100 | 2009-04-13 16:27 | ゲルマトランジスター | Comments(0)

ゲルマトランジスターを使った6石スーパーラジオ(其の1)   

2009年 04月 13日

6石スーパーに初めて取り組んだのは、1990年代の初めである。

 その頃、Antique Wireless Associationの機関誌「The Old Timer's Bulletin (OTB)」に5球スーパーの修理法とトラッキング調整法の記事が掲載された。その記事により、統一規格品のダイヤル、バリコン、コイルが入手できない現代に、手持ちのパーツを活用して組み立てた真空管式スーパーラジオのトラッキング調整をどのように行うべきか、がようやく理解できたのであった。

これにより、それまで何となく鳴っていたGT管式5球スーパー(6SA7-6SK7-6SQ7-6F6-6X5)や、OTBに載っているのをみてつくってみたPhilcoの5球スーパー(6A7;Converter-78;IF amplifier-75;Detector/1st AF amplifier-41 AF Powor amplifier-84 Rectifier)を、ダイヤル低端から高端まで高感度に調整することがようやく可能になったのである。これらのラジオには、正規のダイヤルを付けることが出来ず、GT管スーパーはバーニヤダイヤルを装備していた。

そのため、トリオのIFTやコイルの説明書や当時の雑誌などに示されたトラッキング調整法が通用しなかったのである(それでも、不完全な5球スーパーは鳴っていたのではある。不完全なものを完全と思いこんでいる、つかの間が幸せなのである)。

 ここに至って、スーパーヘテロダイン受信機に対する理解が急に深まったような気になり、次に、「絵で見るラジオのABC」に記載されていた「6石スーパー」に挑戦することを思い立ったのである。

その回路図は、次のようなものである。

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教科書的な回路であろう(但し、Osc段負荷のIFTのB-ラインの結線が記載漏れである。IFTのコレクターとB-タップの結線方法、それに伴い、NCの結線方法も東光のカタログ記載の方法と異なっている)。

昭和37年の本なので、使われているのは当然「ゲルマトランジスター」である。そのラインアップは2SA52(自励コンバーター)-2SA53(中間周波増幅2段)-ゲルマダイオード(検波)-2SB54(低周波増幅)-2SB56(B級プッシュプル電力増幅)である(全て東芝製)。当時、秋田市内の部品屋にはこれらが全て売れ残っていた。

 「これ、相当昔のでないか?」というのが、部品を買いに行ったときに、お世話になっている店員さんが回路図をみて発した第1声であった。まさに、そのとおりなのである。部品は全て揃い、ゲルマダイオードにはこだわりの松下「OA70」を起用した。「少年ラジオ技術者ハンドブック」に載っていた、大きくて黒塗りされた「MA51」とそっくりなのである。

 まずは、感光基板でプリント基板をつくった。今からみるとヒドイアートワークである。ただ、回路が繋がっていればよい、という程度の内容である。ここで大問題に直面する。OscコイルとIFTの足のつなぎ方がわからないのである。回路図を眺めながら、ピン間の抵抗値を測定して、およその検討をつけてエイヤッとやってみた。バーアンテナも問題である。その部品屋にはスーパー用のバーアンテナがなく、ストレートラジオ用のバーアンテナを使わざるを得なかったのである。当然、インダクタンス不足なのでバンド低端は同調回路が目的周波数には共振しない。周波数の低い方では感度が全然あがらないのである。

 回路図1枚しか手元になかった当時、そのような「ノウハウ」は全く知らなかったのである。とにかくくみ上げてVR、スピーカー、電池をつないでスイッチを入れたが全く聞こえない。ディップメーターで調べると、局発が発振していないのである。パターンをカッターで細工して反結合コイルの接続を逆にしたら、局発が発振し、めでたくABS秋田放送(936Kc)が入感したのであった(その時の住所はABSの送信所からわずか数キロの距離であった。これで聞こえないとしたら、ゲルマラジオにも及ばない感度なのである)。

 IFTの調整、Oscコイルの調整まではつつがなく終了したが、バンド低端の共振が得られないのである(当然だ)。原因が良くわからなかったので打つ手はなく、バンド高端のトラッキングをトリマーで取り、完成したと思いこんだのである。日中、ローカル放送は問題なく受信でき、夜になると1200Kc前後の遠距離局(ニッポン放送など、中央の放送や北海道放送、東海ラジオなど)もいくつか入感した。金属のケースに入れてしまったので、1mくらいの外部アンテナ線をつないでいた。このラジオは寝る前に聞くラジオに長期間活用した。

 IFTを完全に調整したにもかかわらず、このテのスーパーが発振しないというのは明らかにおかしい、ということを体験を通じて理解したのは、このラジオを組み立ててから実に19年後の、つい先頃なのである。

IFTの足のつなぎ方に問題があったのであろう。また、各石の動作電流も最適値から大きく逸脱しているのであろう(測定はしていない)。なお、以前秋葉原で見かけて購入しておいたスーパー用のバーアンテナに最近ようやく換装し、今度はきちんとトラッキングがとれた。感度は相変わらずそれなりであるが、これはこれで1990年代の自分の技術を示す資料として、そのままにしてある。いつのときにも「不完全なものを完全と思いこんでいる、つかの間が幸せ」なのである。

「19年」程にもなった「つかの間」であったが。

# by FujichromeR100 | 2009-04-13 15:09 | ゲルマトランジスター | Comments(0)

Vintage Wireless Co. Ltd., UKの話   

2009年 04月 13日

1985年頃から突然、無線と実験にナス管を売る店の広告が出始めた。秋田市内ではいくら探しても入手できなかったナス管が売られ始めたのには驚いたが、いかにも高価であった。これを入手するために、初めて質屋と古本屋の店頭にたったものである。

 1990年代の初頭に、アメリカの供給先を探ったがなかなか情報が得られなかった。インターネットが存在していなかったのである。どこでみつけたのか忘れたが、イギリスの古典ラジオ部品の専門店「Vintage Wireless Co. Ltd.(Tudor House, Cosham street, Mangotsufield, Bristol)」の存在を知ったのである(この店は、その後廃業してしまった)。

 カタログを取り寄せてみると、見たことも聞いたこともない欧州系の真空管が多数リストされている。古いバリコンやコイルなどの部品も豊富である。その中に「Ballon Shape Battery Triodes」という、いわゆるナス型電池管がリストされていたのである。これには大いに興味をそそられた。しかし、部品全般の値段は決して安くはなかった。ナス型電池管は1本10ポンドであった。「発送前に入念にチェックする。テスト通過の下限は60% Mutural Conductanceである」という解説であった。gm 60%というのは実のところ、他でもない、「エミ減」であろう。このタマを2本と、バリコンなどのパーツ、「Superheterodyne Receiver」という小冊子を発注し、銀行送金(クレジットカードというものを所有していなかった)した代金総額は約JPY30K円、と高額であった。

 その時一緒に、カタログに載っていたOC71も4本注文したのである。これが「少年ラジオ技術者ハンドブック」に記載されていた「OCナンバー」のトランジスターとの初めての邂逅であった。

 品物はナカナカ届かなかった。その理由は、この会社はカタログ掲載部品の多くを他の店から取り寄せて仕入れ、発送していたからである。私が発注したバリコンやバーニアダイヤルはアメリカの店から取り寄せていたのである。航空便のダンボール箱がようやく届いたのは、発注してから2~3ヶ月後と記憶している。初めて見るイギリスのナス管には感動した。届いたバリコンやコイルを使って、早速マナ板式2球再生ラジオを組んでみたのである(届いた2Vナス型電池管の性能は必ずしも高くはなかった。明らかに201Aよりも性能が劣っていた。やはり、実際はエミ減だったのか)。

 Vintage Wireless Co. のカタログでは、部品の名称がイギリス式に記載されていて興味を覚えた。真空管はValve(米国式はTube、以下カッコ内は米国式)、アンテナはAerial(Antenna)、真空管ソケットはValve Holder(Tube socket)、ナス管はBaloon shape Valve(Globe type tube)、等々である。これも良い勉強になったが、見たことも聞いたこともなく、日本国内とあまりかわらない値段の真空管を輸入するメリットはあまりないことに気づき、やはり、アメリカの供給先を探す必要を痛感したのである。納期が異常に長いことも大きな問題であった。問い合わせも航空郵便ではかなりの時間が掛かる。業を煮やして電話を掛けてみたら、ひどいイギリスなまりでさっぱりわからず、あえなく玉砕であった。インターネットのない時代は、苦労が絶えなかったのである。

 その難局を打開したのは、その時一緒に取り寄せた「Superheterodyne Receiver」という小冊子であった。これは、アメリカで好事家が復刻版として出版した本であり、201A時代のスーパーヘテロダインラジオの解説書である。この著者に手紙を出したところ、運良く親切な人で「Antique Radio Classified」誌の存在を教えてくれたのである。This contains all information you needとかなんとか書いてあったように思う。これにより、ようやくアメリカの部品供給元の情報が得られたのである。また、同時にAntique Wireless Association (AWA)にも入会することができたのである。AWAの話は、また別項に記載することにするが、親切な著者のおかげで、ようやくアメリカのラジオ部品やナス管を入手することができるようになった。

それにより明らかになったアメリカでのナス管の値段の安さには腰を抜かして驚き、義憤(!?)さえ感じたものである。1990年代初頭、国内で1本27,000円から35,000円、ヒドイところでは45,000円もしていたRCA250が1本US$60程度であったのだ(今は$200以上、天井知らず)。同じような国内価格であったWE205D丸玉も向こうの担当者が「高くなった」といいながらUS$90位で手に入ったものである(今では$450以上、天井しらず)。それが1990年初頭であったから、1985年当時の値段はもっと安かったのであろう。

 これらのオーディオ球は別として、RCA224などの「ラジオ球」は現在、販売店での在庫は激減し、当時と比較すると高くはなったものの、まだ手の届く品であるのはありがたい。値段がそれ程高騰しないで済んでいるのは、オーディオに使えないからであろう。

 話が飛んだが、自分で初めて真空管と部品を個人輸入した会社として、「Vintage Wireless Co. Ltd.」は忘れられない会社である。廃業してしまったのは、残念である。但し、OC44、OC45、OC72を入手するまでには、さらに19年の時間を要したのである。

# by fujichromeR100 | 2009-04-13 12:11 | 海外通販 | Comments(0)

ラジオ入門書2点-おやじのおみやげ-   

2009年 04月 13日

考えてみると、これが全てのきっかけであったかもしれない。


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小学生だった頃のある晩、おやじが秋田市の本屋からラジオの本を買ってきてくれた。泉 弘志著「絵でみるラジオのABCである」初版は昭和37年9月1日。買ってもらったものは昭和45年9月20日第10版。放送局、電波、真空管、アンテナ、検波、増幅などの諸項目の解説に始まり、鉱石ラジオ、並四、高一、5球スーパーの解説からポータブルラジオ、短波、ハイファイまで当時のラジオ関連分野を広くカバーした内容。各項目は図解で非常にわかりやすい良書である。この本によりラジオの基本を学んだといえる。

 一方、別の日のおみやげは、寺澤春潮 著「少年ラジオ技術者ハンドブック」初版昭和34年1月1日であった(買ってもらったものは昭和45年9月20日第10版)。この本は、当時無線と実験に掲載されたナショナルのパーツを使った1ページものの製作記事をまとめて加筆したものであると、まえがきに記されている。この本に記されていた「ナショナルのDシリーズ電池管」には大いに興味をそそられ、遂に初めての秋葉原訪問まで話は進むのであるが、その件は別途記載する。また、この本の記事に使用されているトランジスターは、「OCナンバー」の品種である。何しろ、初版出版時点でも入手困難な古典的なデバイスを多用しているのである。この点に関して、「本書を読むみなさんへ」という特別な項目の中に、「Dシリーズの真空管は今日(昭和34年)のポータブルラジオ全盛の原動力となった真空管であるので、時代の流れを知るためにもあえて記事を掲載した」と、OCナンバーのTRについてはその後の名称変更により2SA、2SBタイプとなった該当品種を示しながら「代替品は何かということを自分で考えるなり、先輩に聞くなりすることにより、自然に応用力というものが身に付く」と解説されている。

 このような趣旨の本ではあったものの、昭和45年(小学4年)頃、この本をみた当時の私はAC100Vを使用する交流管をいじることには、感電や配線失敗による発熱、発煙、発火(!)の恐怖を覚えていたので、乾電池で使えるDシリーズ電池管には強い興味を覚えたのである。当時は67.5V乾電池は入手困難であったものの、フラッシュ用の22.5V電池は容易に入手可能であったことから、高圧B電池も心配はなかったのである。しかし、秋田市内の部品屋の話によるとDシリーズの入手は絶望的と思われた。

 この時から、今日まで続く、「入手困難な真空管を探して入手する」という苦しい楽しみの航海に漕ぎ出したのである。そう考えると、罪な本である。Dシリーズの探索に始まり、秋田市内や本荘市内の電気店で売れ残りのST管を探し回り、90年代はナス管を入手するためにアメリカの店を探索し・・・という、果て無き彷徨が続くのである。

 OCナンバーのトランジスターとしては、90年代にOC71を偶然入手したもののOC44やOC45はどうしても入手できず、そのままになっていたのであるが、ごく最近、イギリスの部品屋からOC44、OC45、OC72を入手できたのである。これらを使って、6石スーパーを作製したのである。このような道楽の発端は、少年だったあの日のおやじのおみやげ、「少年ラジオ技術者ハンドブック」であることを考えると、実に感慨深いのである。

# by fujichromeR100 | 2009-04-13 10:45 | 御本 | Comments(9)